日本選手権のご報告

6月3日(土)大阪長居スタジアムで日本選手権が行われました。結果は、自身の体調不良のため欠場(棄権)となりました。

 

5月31日(水)に日本選手権に出場すべく、大阪に移動しました。出発前夜から体調を崩し始めており、大阪に到着してからはさらに悪化しました。ホテルから外に出ることもできず、ご飯を食べることもできず、この身体で試合に出るのは厳しいかもしれないと思い始めました。諦めるのだけはイヤだったので、出場するために部屋でとにかく回復に努めていました。一方で、女子棒高跳の試合は2日(金)の予定でしたが、私にとってはラッキーなことに大雨の影響で翌日3日(土)に順延しました。過去の日本選手権で日程が変更になることなどなかったので、「奇跡が起こったかも!? 試合に出られるかもしれない」と希望の光が見えました。

いつも一緒にトレーニングをしている仲野選手(走高跳)の試合が大会初日にありました。末續コーチと話し合った狙いどおりに、今シーズンで一番良い試合をしている仲野選手の姿を見て、私も試合に出たいと強く思いました。それからはもう絶対に試合に出場するつもりで準備を進めました。

 

試合当日を迎え、なんとか自身の体調は回復傾向にあり、競技場へ向かいました。試合前の状況や現状を想像しながら、「絶体絶命の状況だなあ」と考えていました。いよいよ試合開始に向けてウォーミングアップで跳躍練習をはじめたところ、感覚と、身体がバラバラであたふたしている私の状況をみて、末續コーチが、私の試合の欠場を判断しました。ギリギリまで試合に挑む姿勢で立ち向かいました。コーチの決断がなければ、やるべきではないと自分で分かっているけど、「諦められない」という気持ちを満たすだけの出場になっていたと思います。

 

その後、スタジアムを後にする時、「こんなにも悔しいことはない」という思いが沸き起こりました。今も思い出すと涙が出ます。後になって冷静に考えるとここまで悔しいのかと実感しました。棒高跳を始めて、ここまでの悔しい気持ちになったのは高校生以来でした。そして20代の頃は、熱い気持ちにも悔しい気持ちにもなれず、試合に出てもただ安心するか、情けない気持ちになるかのどちらかでした。今回のような状況(棄権)のほうが気楽に思えました。30代になった今、自分に不利な状況でも、逃げるのだけは避けたいと思えたのは、今それだけ熱い気持ちで本気で競技に取り組めているのだと気付きました。私はすぐに投げ出したくなる性格でした。アスリートとして当たり前である諦めない姿勢を持ち合わせていませんでした。そんな私が、今があるのは、末續コーチが「すぐに諦めるな!」と言い続け、寄り添い、向き合い続けてくれたからだと感じています。

 

試合当日は、横浜から上司の田中さんと、広報の大島さんが駆けつけてくれました。また地元大阪の友人達も応援に来てくれていました。試合をする姿を見せられず、とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 

これだけの経験がありながら、日本選手権出場のタイミングに体調を崩してしまったことは自分のカラダの管理不足です。反省はもうたくさんしたので、次に向けて挑戦を続けていきます。今回のような思いを二度としないように、そしてこの経験を自分にとって意地でもプラスに捉えていきたいと思います。次戦は来月7月9日(日)南部記念(北海道・札幌)の予定です。残りのシーズンで、日本選手権で味わうはずだった楽しさを取り返したいと思います。