仲野春花選手の引退

仲野春花選手の引退

私の思いを綴ります。

仲野との出会いは、私がニッパツに所属して間もない頃、仲野は大学生で初めて出会いました。

学生時代から活躍をしていたため、私は一方的に仲野の存在を知っていました。身長がそこまで高いわけではないのに、自分の身長のはるか上を跳ぶバネを持っていて、なぜか目で追ってしまうような魅力のある選手だな、という印象でした。

ニッパツに入ってからの仲野は、地元である福岡を拠点に競技生活を送っていました。当時はほぼ試合でしか会う機会がなかったのですが、それまでの仲野の印象とは違って、会う度にいつも泣いていました。

当時の仲野は、踏み切りの際に捻挫を繰り返しており、試合に出場した後、いつも泣きながらアイシングをしていた印象でした。そして私が「最近はどう?」と仲野に聞くと、その度に「どうしていけばいか分からない。」と自分の状況を泣きながら話していました。情緒激しめの私もつられて一緒に泣きながら話を聞きました笑。

そんな悩める時期の仲野が、「合宿に行きたいから呼んでください」と3回も連絡をしてきました。なにか突破口を探している必死さが伝わってきて、これはもう絶対呼ばないと!と思いました笑。

当時、練習パートナーを必要としていた私は、仲野が練習に来てくれたことで、「仲野となら一緒に支え合いながら頑張っていける」と感じたのを覚えています。

それからは末續コーチの元、一緒に競技生活を歩み始めることになりました。

関東に拠点を移し、進むべき道が見えてきた仲野は、本当にあっという間に捻挫を乗り越え、再び跳べるようになりました。

ただ、その後の競技人生も、常にケガと隣り合わせだったように思います。思いっきり跳べない仲野を横で見ながら、私もいつももどかしい気持ちでいました。

仲野は、相手に気を配り、言葉選びが丁寧で、誰とでも分け隔てなく仲良くなります。人を悪く言う姿を見たことがありません。そして、ものすご~くさっぱりしています。私が仲野に言った言葉がきつかったかな?と反省し、あとで謝ったときも、仲野は決まって「全然気にしていないです。っていうか何の話ですか?」みたいな反応です。あとは驚く程せっかちです。一緒にボーリングをしたことがあって、ピンが並び終わる前にすでに投げ始めていたのを見た時は、さすがに笑いました。

仲野の紹介はこのへんで笑。

いつも明るく、前向きな仲野と、競技人生の苦楽を共にしていくうちに、気付けばどっちが先輩か分からない程、私にとって支えとなる存在になっていました。

仲野の引退試合は、まさに彼女の愛される人柄を表すような試合でした。

雨予報が嘘のように晴れて、仲野を大切に思う人たちに見届けられながらの、最後の跳躍でした。

かつてのような悔し涙ではなく、嬉し涙を流しながら、「幸せだった」と胸を張って言う仲野の競技人生を、隣で一緒に歩めて、私も幸せでした。

仲野、ありがとう。そして、長い間おつかれさまでした。

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